サラリーマン時代を振返る(1)

2012.07.30
かなり正直に、そして飾らずに、書いてみる。サラリーマン時代、世の中の人が、幾ら貰って、どんな仕事振りなのか、私はとても気になっていた。それは「男の価値は稼いでナンボ」と単純に考えていたからである。では、稼ぐにはどうすれば良いのか?営業職は、事務職に比べ、多くのインセンティブが付いていた。当然、結果がものをいう世界である。結果が出ずに厳しい状況にある人もいた。そんな事はあまり気にならずに、営業の世界に飛び出した。 三流私大を6年かけて卒業し、1991年、A社に同期600名と共に入社。当時、A社の売上は未公開企業ながら、1兆円に迫るものであった。当時は、グループ従業員も7000名を超えていた。大会社での配属は人も羨む人事部。人事部が選んでくれたので、嬉しかった。しかし、こんな長時間、机に向かう事は産まれて初めての経験であった。事務職の評価は「出来て当たり前」と言う減点法に基づくらしい。出来ないことにチャレンジすることに魅力を感じてしまう私の性分には合わない。でも、大企業の雰囲気なのか?いるのに苦痛ではなかった。むしろ楽しかったと思う。人事データは賞罰は閲覧権限があったが、それ以外の基本情報は大体閲覧できた。出世している人が辿るコース、給与、学歴、性格etcを閲覧できた。今では到底考えられない事かも知れない。仕事の方も、事務職としての精度もそれなりに向上した。休日もちゃんとあった。仕事が楽しいと言うより、生活そのものが楽しい。と、表現した方が適当かも知れない。だが、同時にそのまま、極楽にいながら、年齢を重ねる恐怖も感じていた。入社直後から経済が明らかに下降線を辿り始めていたからである。元々、独立思考の強かった私は、それを機に、益々自力で道を切り開きたいと考えるようになっていった。入社して1年が経とうとする頃、課長との面接の際に、異動希望を出した。「社の歴史90年で、人事から出たいと言う者はいないぞ。暫く、考えろ」。そして、異動が叶ったのは、入社して丁度2年経ってからであった。 1994年4月から、営業として働き出して、世の中には、こんなにも多くの金持ちがいることに、とても驚いた。バブルは崩壊していても、堅実にやっている人は生き残っていた。消費行動もバブルの名残が残っているのか、引き締めと言うより、緩い感じであったと思う。今の方が、はるかに節約の意識が強いと思う。そして営業成績の方は、そこそこ順調に伸びた。私は、営業的な素質に恵まれている訳ではなかった。だから、遊びながら適当な結果を残す同僚の真似は出来ないと感じていた。具体的な数字は存在していなかったが、成約率は同僚のそれと比べると著しく低かったのではないかと思う。それを行動量でカバーし、成績が良い状態が続くと、会社からはハワイ旅行にも連れて行ってもらえた。表彰なども頻繁にされるようになった。次第に毎月の様に、他社からのお誘いの声もかかった。そんな状況が自信となり、近い将来に独立する事を念頭においた計画を立て始めた。そして、新卒から1997年3月までの丸6年間在籍したA社を、決起盛んに、勢い良く去った。 1997年当時、独立起業ブームであった。言うまでもなく、時代は1995年のWindow95発売を機としたITブームの魁であった。日本では、起業ブーム、ベンチャーブームであったが、まだ、全体的にはITというところまで行き着いていなかったと思う。アントレプレナーセミナーがあちこちで開かれ、私もオリジナルの企画書を作成し、持参して参加していた。人材派遣関連の企画書であったが、内容、経験とも、全く歯が立たなかった。それから、年内一杯は、税込み月収が20万円のフリーター生活と、就職活動を送ることになった。(続く)