今や”謝罪”は枕詞ですよ。ね?

2013.05.28

仕事で失敗をした時は、原因究明が済んでもいないのに、”まず謝罪する”習慣は、いかにも日本人らしく、また、日本人として、あるべき姿であると思います。そして謝罪は、潔い美しい行為とも感じます。しかし、最近は、残念なことに、この”謝罪”をテクニックとして利用し、早々に幕引きを図ろうとする企業や人物も出てきました。謝罪をテクニカルに利用する場合、FAQは用意周到な準備が必要となりますが、想定外のことを追求されたり、意地悪な言われ方をされたら、当事者が回答に詰まり、最悪の場合、問題を引き起こした張本人にも関わらず、逆ギレしてしまうこともあります。こんな場面には、最近、テレビのニュースショーで目にするようになりました。

  そもそも、謝罪とは、Wikipediaによると、『謝罪(しゃざい)とは自らの非を認め、相手に許しを請う行為である。謝罪する側される側共に個人単位、団体単位、国家単位など様々な規模があり、謝罪する理由は本心からのものと、戦略的なものに分けられる。一般的には頭を下げるが、謝罪は個人の性格、価値観、土地の風習、文化、国際的であるかどうかなどで異なる。』とのことです。  

そこで、自分が謝罪する立場だったら、どう考えて謝罪するのか。。やっぱり、心のどこかでは、全ての責任を被せることなく大目に見てもらって、あわよくば無罪放免にならないかと期待しながら、謝罪していることもあると、、認めざるを得ません。

少し状況を変えまして、もし、被害者が直接の当事者ではなく、その代理人として弁護士が、私の面前に現れたなら、謝罪が難しくなり、逆に応戦体制を整える方向に動いてしまう場合も出てくるのではないかと想像いたします。

  また、謝罪は、問題の解決を阻害する行為にもなりかねないとも、危惧しています。加害者は許しを乞い、被害者がそれに応じた途端に、いつの間にか、問題すら起きていなかったかの様になってしまうケースも、決して珍しいことではないと感じます。(これは、なぁなぁの関係に陥りやすい社内においてよく見られるケースと感じています。)これでは元も子もないので、当事者双方で協力し合って、再発防止策を構築し、実行しなければならないと考えます。 当方が被害者と仮定した場合、謝罪に応じるかどうか、私なりの見極め方を紹介いたします。再発防止策が提示されていて、その対策が十分に煉り上げられていて、かつ、実現可能であると判断した場合には、謝罪に応じて良いと思います。対策が不十分で、当方からの質問にも曖昧さが残り、その上、「誠心誠意・・・」とか、「一心不乱に・・・」とか、「粉骨砕身、・・・」などの言葉や、神妙な態度を装うことに注力しているだけの加害者には、簡単に謝罪に応じると、新たな問題を引き起こすことになると感じてます。   こうして考えてみると、”謝罪”は、今や、単なる枕詞として捉えていた方が、よろしいのではないか。と言う、結論に至る訳でございます。 皆さんは、どう感じていますか?