仕事の”楽しさ”ってなんだろう

2012.12.07
それはズバリ『想像力』を発揮することじゃないかと考える。 (ここからはたとえ話)あなたは、今日から晴れて一流企業の社員になった。就職活動には大変な苦労があった。だからこそ、バリバリと仕事をして、キャリアを積んで、出来る人間になりたいと希望に夢を膨らませている。もし、その矢先に上司から、1日中、お茶出し業務に命ぜられたら、仕事に楽しさを感じることが出来るだろうか? 私が、そう言われたなら、きっと、楽しさは感じないと思う。きっと辞めたくなると思う。でも、ちょっと思い直して、そこから抜け出す努力を期限を決めて頑張ってみる。お茶出し業務なら、社内外問わず、かなり多くの人と会えることになる。新入社員が会えない人にも、普通に会えて話をするチャンスがある。だから、自分が関わる人の全ての名前と、お茶の好みを調べ、その人の趣味とか仕事のエピソードも仕入れて、それを覚えて、好みのお茶を出すときには、「○○さんは、ぬるめで濃いめのお茶ですね。」で、もう一言、何か気の利いた声かけをするようにする。そうしていると、社外の人から次第に頼りにされてくるようになる。「今日は、・・さんは、機嫌いい?」「・・・の話をしたいのだけど、大丈夫かなぁ?」社内の人には、「・・さんの趣味教えて〜!」「・・さんはお酒飲めるの?」といった具合に、いつの間にか、コミュニケーションの中心になって、テーブルに着かずとも話が分かっている人材になっている。自分の情報収集力コミュニケーション力アピールして、「こいつは、お茶出しだともったいない。別の仕事も任せられるな」と、誘ってくれる人を待つ。・・・今なら、きっと、こうする。 お茶出しの仕事が、全くの想定外だったら、嫌で嫌で仕方なく、それが表情や態度にまで表れて、何の努力もしない。こんな日々を送っていたとしたら、新しい仕事を任せてもらえるだろうか。それかなり難しいと思う。・・・20年前だったら、仕事に対するイメージも沸かずの馬鹿な新入社員。。こんな私だった。 仕事の楽しさは、趣味とは違う楽しさがあると思う。仕事には、晴れ舞台があり、舞台に上がるまでの陰の時間には、誰もが人知れず努力をしている。趣味に努力がないと言っている訳ではないが、趣味も仕事になると、やっぱり辛くなるようである。 では、仕事って何だ?

し‐ごと【仕事】

《「し」はサ変動詞「す」の連用形。「仕」は当て字》 何かを作り出す、または、成し遂げるための行動。「やりかけの―」「―が手につかない」 生計を立てる手段として従事する事柄。職業。「将来性のある―を探す」「金融関係の―に就く」 したこと。行動の結果。業績。「いい―を残す」 悪事をしたり、たくらんだりすること。しわざ。所業。「掏摸(すり)が集団で―をする」 《「針仕事」の略》縫い物。裁縫。 力学で、物体が外力の作用で移動したときの、移動方向への力の成分と移動距離との積。単位はエネルギーの単位ジュール、その他ワット秒・ワット時など
[ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]
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う〜ん。。どれも、そうに違いないのだが、正直、ピンとこない。先日、ラジオを聴いていたら、仕事のことを「人に頼まれて、それを受けたら仕事。」と、言っていた。要するに「人のためにすること」である。第一義は、「お金」「生活の糧」とかではない。依頼されたことを引き受けたとき契約成立である。この考えは、ボランティア活動も立派な仕事になる。趣味でカリスマになったら、サーク活動でも仕事が増える。・・・これはしっくりくる! 次に、仕事でどんな時が楽しいのか?
  • したい仕事が出来ているとき?
  • 相手に喜んでもらえるとき?
  • 要求に応えられたとき?
  • 自分のシナリオ通りに事が運んだとき?
  • 高い難題、課題を超えて目標に到達したとき?etc…
「人に頼まれて、それを受けたら仕事。」と定義するなら、上記の「したい仕事・・・」は、考え方がそもそも間違っていると言うことにならないか?言い過ぎかな? では、楽しい仕事が出来る環境をどうやって作る?これが、冒頭の質問に対するヒントではないかと思う。 私の場合は、頼まれた仕事に対し、プラス・マイナス織り込んだシナリオを作って、その通りに物事が進むことが楽しいと感じる。既述の、お茶出し業務で考えるなら、行為だけにフォーカスする訳ではなく、その業務が行われる環境でのコミュニケーションや人間関係にも着目したいと考える。そうすると、お茶出し業務の意外な重要性が浮かび上がり、それがサクセスストーリーにもつながる。20年前には全く分からなかったことだ。 自分が敬遠したい仕事をしなければならない人間に、「ポジティブに考えろ」とか、上司や周囲は言ったりするが、当事者には、そんな時にポジティブが何なのか分からないと思う。当事者は、そんな漠然とした言葉では心は動かない。そもそも、仕事はなんぞやを考えさせなければならないと思う。あなたが上司なら何か約束するのが良いと思う。しかしながら、仕事の楽しさは、己を詳しく知ることで見えてくる。だから、本当は己にしか解決できない問題だと思う。 お茶出し担当には、一般的なイメージとして、その肩書きにブランド価値はなく、仕事内容も、誰でも出来る仕事と思われがちである。だから他人には自慢できない→仕事が出来ないと思われるのが恥ずかしいから『言えるような仕事ではない。』となる。コレ、言っちゃう人、結構いないだろうか?『言えるような仕事ではない。』まさにその人が取り組んでいる姿勢を自ら暴露しているに過ぎない。と、考えたりする今日この頃である。もったいない話である。せっかく、1日の大半を使っている仕事なのに、そこでの成長を拒んでいる。そして、仕事が終わってから、せっせと自己啓発セミナーに通う日々。コレって、どうなんだろう? 私自身、考え方や行動が変わったと思う。独立、起業を果たしたからなのかな?。。だとすれば、そうして良かったということにしておこう。 お詫び:お茶だし業務を見下しているように感じてしまったら、ごめんなさい。筆者は、決してその様には考えていません。何事も取組む姿勢で、重要度は他の仕事を抜けると思っています。