個性の尊重と健康を考える

2012.12.03

仕事とうつ病についての関係が、労働問題となって久しい。従業員の健康問題は、企業は避けて通れない。私は医者ではないので、症状を詳しくは言えないし、治療も出来ない。知識レベルは、一般的に言われているくらいの程度である。私の認識は、(仕事を自分の許容量以上に抱え、それを真面目に取り組んだ末、)突如、不眠、やる気がなくなったり、過食、拒食、免疫力の低下、或いは、からだのどこかに今までにない不調を感じたりするらしい。そんな症状は、一過性のストレスですぐ改善するかも知れないし、良くない状態が長期化すれば、うつ病と診断されるらしい。この程度である。繰り返すが、私は、うつ病を治療出来るのではない。と、いうより、うつ病にならない為に、私の経験や考え方が参考にならないか?正直、書こうか書くまいか悩んだが、もし、少しでも役に立つなら、幸いと言う思いから、筆を進めることにする。

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うつ病(うつびょう、鬱病、欝病)とは。

気分障害の一種であり、抑うつ気分や不安・焦燥、精神活動の低下、食欲低下、不眠症などを特徴とする精神疾患である。(wikipedia調べ

=== 症状は、色々とあるようだ。 【本当にうつ病なのか疑う】 実は、うつ病に似た様な症状を、私も体験した。だが、私の場合、原因は糖尿病であった。治療を始める前は、物忘れや、頭が回転しないとか、倦怠感や、すぐ風邪をひいたり、下痢しやすかったり、そして胃潰瘍、化膿しやすい、手足のしびれなどがあり、体自体の免疫力が著しく低下していた。症状は30歳をすぎた頃から顕著になって来ていた。うつ病なのかな?と感じなかったと言えば、嘘になる。自分でそれを打ち消しながら、体調不良を隠しながら、ひたすら我慢して仕事をしていた。たまたま心療内科には行かなかったのである。 糖尿病の治療を始めてから、それが、まるで嘘だったかの様に改善した。やはり、仕事のストレスで、うつっぽいなんて自己判断は絶対禁物で、病院の精密検査は必要であると実感した。私が糖尿病と分かったのは、2011年2月(44歳)のことであったが、医師は、「現在の状況から、糖尿病になって、10年以上は経っている。」と言った。30歳ちょっとで、糖尿病になっていたことになる!これには驚いた。でも、医師の診断は、体調に異変が生じた頃と合致していた。当時、会社で加入している保険組合の健康診断は、毎年、受けていた。でも、そこでの指摘はなかった。要するに尿検査レベルでは、なかなか分からないのである。前日、夕食を早く済ませ、明日(或いは今週)が、健康診断だからと言って、気を使った食事をして、節制をする。そして、尿検査を行う訳である。これでは判定できない可能性がある。年齢的には、まだまだ体も若いし体力もある。だから、数日間で改善するのかも知れない。もし、糖尿病と分かる前に、私が町の心療内科医にかかっていたならば、果たして、本当の原因を突き止められたかは、正直、分からない。なぜなら、大概の場合、町の心療内科レベルでは、血液検査や尿検査、糖尿の検査をして、精神疾患以外の病気を見つける為の機関ではないからである。検索サイトで、うつ病 症状 と、入れて頂ければ、「検索行為=自己診断」に基づいて、心療内科のサイトがわんさと出て来る。是非、試して欲しい。そこで”あなたのうつ病度”も簡易診断出来る。これは危ないと感じる。 うつ病のことを話す予定が、糖尿病を長く語ってしまったが、私が、ここで、実体験をカミングアウトしてでも訴えておきたいことは、体調不良には、生死に関わるその他の原因が少なからずあるという事。むしろ、そちらの方が多いのではないか?体調不良を感じたなら、まずは、心療内科にかかる前に、精神疾患以外の疾患を疑って、とことん検査することをお勧めしたい。 【改善は業務の言葉。個性の改善を指すのではない】 円高や欧州経済危機による世界不況、国内でも高齢化による消費不況、更にバブル崩壊依頼のデフレ環境から脱却できずにいる閉塞的な経済環境の下での、仕事の進め方の代表例として、『改善活動による合理化』、『コスト削減による利益確保』が美辞麗句となっている。企業は、それを基本的な仕事のやり方と定義し、推し進めていく事になる。当社も、例外に漏れずそうである。が、しかし、『改善行為による合理化や、コスト削減による利益確保』は、ビジネスにおいては、大変、聞こえは良いコトバであるが、実態は、破壊と想像、現状否定を繰り返し行わなければ、結果も伴ってこない。とてつもなくストイックな作業である。ここで言う『現状否定』は、飽く迄も仕事上でのことである。仕事は組織で取組むもの。皆で取組む事ができる。 幸い?、私は、会社員として、リストラを伴うような大きなコストダウン(或いは、合理化対策)を経験していないので、本当の意味の合理化対策のストイックさを知っている訳ではないと思う。 人間の個性は、仕事の様には上手くは改善しない。と言うか、全く改善しないだろう。何度も同じ過ちを犯し、その許しを乞うために宗教があるのだ。もし、仕事と同様のアプローチで人間を追い込むとしたら、それは、人格否定になる。それを己でやるなら、自己否定自己破壊行為になるのではないだろうか?この話は、当社社内のみとは思わないが、少なからずとも、仕事で学んだ改善方法を、自己改革に当てはめてしまうケースが、決して、少なくないと感じる。その様なことを志向する者の多くは、仕事のミスが自分の性格に問題があると考えているようである。これはとても危険な思考だと思う。 何故、仕事では、己を知らなくてはならないのか?それは自分の短所を改善する為ではない。補う為にどうするかを考える為である。人間の個性が、絶対、変わらないと言っている訳ではないが、個性(自分)を変えるには、50年足らずの就業期間では短い。もっと長い時間を要すると思う。 【生物は自己肯定しなければ生きられない】 本来、生物(人間のみならずという意味で)は『自己愛』『自己肯定』を基本として、生きている。その生物の中での人間は、とりわけ日本では生命の危険を脅かされることが少ない。その様な環境下では、ごく普通に「立派な人間になりたい」とか、「成功者になりたい」とか、「仕事ができる様になりたい」とかを志向する。学校を卒業し、就業して、まだ、未熟な自分がいる。世の中の仕組みも少し分かった。自分がそうなるためには、性格を変えることが必要であるかの如く、行動する。メディアでは、その様に美化されて紹介されるケースが多々ある。でも、実際のところ、「立派な人間になる」、「成功者になる」、「仕事ができる」ために「個性を変える」必要はないのである。全て、現状を肯定し、自分に不足するモノが何かを、見極められ、それを外部調達できる人間こそが、自分の夢に到達できると思う。大いなる誤解は、やめた方が良い。 【行動を変えれば考え方が変わる。個性を変える訳ではない】 個性は変わらないが、人は所属するコミュニティ(環境)によっては、考え方は変わる。考え方が変われば、更に行動が変わる想い通りの人生を歩みたいのなら、これで十分である。考え方を変えたからと言って、残念ながら、性格が良くなった訳ではない(個性は変わっていない)。多少、社会生活と個性とのギャップは付きものである。考え方を変える為の最も容易なアプローチは、生活リズムを変えることだと思う。生活リズムを変える為に、自分で歯を食いしばってストイックに進めるより、そうしたい人たちと協力してやれば、もっと楽に実現できると思う。 【まとめ】 以前にも、”組織力の最大化”で、書いたが、会社組織の中では、仕事は一人で完結する訳ではない。全て繋がっているのである。そこには、相互連携、協力が必要になる。本来なら、孤立はしないはずである。個人が孤立をしてしまう仕事のやり方は、組織として機能していない証拠であり、経営者の責任と考えている。もし、個性の改善を求めるのであれば、それも経営者が間違っている。 決定した会社の方向性に同調してもらうことは大切であるが、個性は多様化しているべきである。様々な個性が、会社に様々な提案をし、それが会社を強くして行く。と、考えている。当社の会社ロゴマークは、”色々な色のなるリンゴの木”は、それを現している。