課題と原因について考えてみた

2012.11.29
社内外の諸問題を解決する場合に、とても重要になる『課題』と『原因』の関係。しかし、この『課題』と『原因』を、混同したり、取り違えたりして、議論が進んで行くことがあり、改善策を決定する際に、不安を感じる。これは決して珍しいことではなく、むしろ頻繁にある。何故、そうなるか考えてみたい。 ===== 辞書(http://kotobank.jp)ではこういうことになる。

原因

 ある物事や状態を引き起こしたもとになった事・出来事。 ↔ 結果 「墜落事故の-を調査する」 「此処へ引越したのも,半(なかば)は僕の事に-して居る様に誤解して居たんだ /魔風恋風天外」

 〘哲〙 ある事物を成立させるもととなった物事・理由。アリストテレスでは形相因・質料因・作用因・目的因の四つに区別するが,狭義には,二つの事象が必然的な関係のもとに生起する時,時間的に先なるものをいい,後なるものを結果という。

課題

 仕事や勉強の問題や題目。 「休暇中の-」 「-を与える」 「-図書」

 解決しなければならない問題。 「当面の-」 「緊急-」

要因

物事がそうなった主要な原因。「事件の―を探る」

因果関係

原因結果の関係のこと。 因果関係の把握は、問題解決において重要思考技術である。 因果関係のパターンは、主に3つある。

単純な因果関係 ある原因が先にあって、そこから結果が生まれるパターン。

②にわとり-たまごの因果関係 ある原因から発生した結果が、さらにもとの原因を引き起こす原因にもなっているパターン(実際には、どちらが原因でどちらが結果か、見分けがつきにくい)。

複雑な因果関係 上記2つのパターンが複雑に絡み合った因果関係。 また、因果関係を探る際には、以下錯覚に注意する必要がある。

1)直感による判断 相関すら確認せずに、因果があると錯覚してしまう。

2)第3因子の見落とし 相関があることを以て、因果関係があると錯覚してしまう。

3)因果の取り違え 原因と結果を取り違えてしまう。

4)最後の藁(last straw) 原因となる要素複数あるうち、たまたま最後に起こった事項、または目立った事柄を最重要な要素と錯覚してしまう。

===== 課題解決のプロセスを整理してみることにする。
  1. 何かしらの問題が表面化して、それが顕在化されれば、『解決すべき問題』として認識される。『解決すべき問題』を課題と言う。また、課題結果とも置き換えられる。
  2. この課題を引き起こした大本が、原因である
  3. 原因と課題(結果)には、必ず因果関係がある。言い換えると、因果関係がないものは、原因ではない。因果関係の証明方法は、主に以下のA~D。
    1. 数学的なアプローチ。
    2. 実証実験による有効性の判定。
    3. 複数の証言とそれを裏付ける資料等。
    4. 過去事例や判例の引用(相当因果関係)。
  4. 原因は、複数の要素で構成されていることが多く、その中で主要なものを要因と言う。
  5. 課題解決は、原因(要因)改善をして、結果を好転させることである。
改善策を決める議論には、因果関係が重要であることが分かってきた。因果関係は、複雑であったり、或いは、因果関係を無視して、勝手な原因を定義してしまうから、誤解、錯覚、取り違いなどが発生し、その結果、実のある議論が出来なくなってしまうらしい。議論が噛み合わないと感じたのなら、まだ、取り返しはつくが、論破されて(納得させられて)しまったら、大きな間違いを引き起こすことになる。議論の最中でも、因果関係については、勇気を持って、繰り返し確認しながら、課題と原因を整理しながら進めることが重要であると感じる。 以下、余談として。 メディア媒体などの論評(経済番組、報道番組、新聞記事など)でも、必要な要因を提供せずに、結論づける手法は、普通にまかり通っていると思うが、この手法は、恣意的に視聴者や読者を、思いのまま自由に誘導出来る。全てがそうであるとは思わないが、受け手としては、十分注意を払うべきである。私のブログも、因果関係が証明されていないことについての表現方法は、注意したいと思う。 しかしながら、ビジネスにおいて、課題解決の為とはいえ、都度、因果関係を完璧にしていたら、コスト(時間・カネ)的に、ビジネスが成立しないと思う。いくら、そこにお金を掛けても、100%の勝ちが保証される訳ではない。なんと、ユニクロの柳井社長でさえ、事業は1勝9敗と言っているくらいである。では、どこまで、因果関係を証明すればよいのであろうか? 採算性を考えた場合、経験や感覚に頼らなければならないことが、多くなるのも仕方ないと感じる。経験が不足しているなら、証拠となる情報を収集すれば良い。もし、それでも、因果関係がハッキリしないなら、仮説としての『原因』が、改善されるのか?を、最小コストで実験・検証してみるのが、最良ではないかと思う。それで、ある程度、自分の気持ちに目処がついたら、半ば強制的に本番に乗り出さなくてはならないと考える。