人生は80余年、就労は40〜50年、そして、一日は24時間。
時間は世界中のどんな人にも平等である。この世でどんな人にも平等なことなんて、そう多くはないと思う。この時間の使い方次第では、自分の思い描く人生に近づけるかも知れない。タイムマネジメントについて、私なりの考えと行動を紹介する。(以下A〜Eは私なりの大まかな区分)
A.WeekDayの1日(24時間)の時間配分
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8時間…睡眠6時間とその前後の行為(入浴、着替え、朝の洗面など)。
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8時間…就労
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8時間…通勤、残業、食事、余暇
B.時間の合理化を検討する
- 上記Aで時間短縮可能なこと…通勤時間、残業、職種によってだが就労時間も合理化は可能
- 個人の成長に有意義な時間…就労時間、余暇、食事
- 毎日、絶対削れない時間…睡眠、食事、就労
- 生活リズム…ルーティン化すると時短に繋がる。私は睡眠前の行為
C.一日24時間を、25時間以上にするための行為(または時間の無駄遣いを帳消しにする行為)
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応用…類似する体験を応用して時間短縮を図る
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真似る(学ぶ)…手本となる人や、考え方、あるいは技術を、バーチャルに体験してしまう。到底、真似出来ないことは無理はしない
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情報収集…着手前(準備段階)に情報(意見、知識、技術など)の収集を行う
D.上記を可能にする条件
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ほどほどの健康
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ストイックにならない柔軟さ…適度な”さぼり”を許容すること。私のように、意思の弱い方にはお勧め。良い”さぼり”は効率アップになると思う。
E.プラスアルファ
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環境…時間を有効利用するためには、周囲の支援や合意が必要な場合が多い
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運…タイミングや、巡り合せや、出会いとか、の運も多少必要
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信念…自分を信じる
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行動…思いだけでは実現困難。失敗を恐れずに動かなくては始まらない
上記A〜B
朝型人間、夜型人間、私は規則性があれば良いと思う。私も出来るだけ規則性を重視した生活を送るように心がけているが、正直な話、どうしても規則正しい生活は乱れてしまう。何かで聞いたが、人間のサイクルは8時間ではなく、7時間であると。だから、24時間で割り切れない分、普通にズレてくるのは当たり前だとか。言い訳ではない(笑)
社会人は、学校の生徒とは違い、規則正しい生活のみを優先させることは不可能であるし、それを許容しながら、どうするかを考えた方が良いと思う。
Cは、自分の思い通りに行かなかった時間のロスを取り返すリカバリー的要素。または生き急ぐ人のために必要な要素だと思う。私にとっては、最も重要な要素である。
Dは、「健康」は言うまでもない。「ストイック」な方は尊敬する。私はストイックになりすぎると息切れするので、挫折し投げやりな気持ちに支配されない為の対策として、適度に息抜き的な”さぼり”を前向きに許容している。今週、出来なくても、来週からまたやれば良いと。但し、甘えすぎ、サボり過ぎは、論外である。
Eは、プラスアルファ。環境が整えば”運”が”味方”する。当然と言えば当然である。なぜなら、生活も、行動も、また周囲には支援者が多くなるのであるから。運というよりは、必然に近いと思う。期限も大切だが、長い人生で、期限ばかりに固執せずに、信念を持って、環境を整える動きを心がけていれば、いつの日にか祈願成就もある。
10000時間の法則について
The New Yorkerのスタッフライターマルコム・グラドウェル氏が、書著Outliers(邦訳『天才!』)で発表している概念。(詳しくは本をお買い求めください。W)調べてみると、天才が何なのか?と言う疑問に行き着く。書を読んでコメントしている方も、天才ではなく、一人前になるためとか。色々な解釈があるみたいだ。
やっぱり、私は、何事においても、全く天才でなかった。残念!!
まとめ
タイムマネジメントについて、私が人にとやかく言える立場ではないので。私見として。
人生の送り方は、人夫々で多様である。私がとても真似できない素晴らしい生き方をしている諸兄は数多。それを垣間見る度に、自分のキャパやバイタリティのなさに落胆することもしばしばである。でも、
所詮、人は人。妬んでいても、羨んでいても始まらない。自分の理想とする人生に近づく為のタイムマネジメントでは、自分なりの工夫をしていくしかない。
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10000時間の法則関連の参考文献
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