家族か、仕事か、
2013.01.09
この話は、究極の場面で「家族を取るか?」「仕事を取るか?」という選択を強いている訳ではない。そんな究極の選択をしない為の考察である。
以下はフィクションである。
幹子39歳、主婦。子育ても終わった訳ではないが一段落し、空いた時間に働いてみたいと言う気持ちが出来た。10年振りに働くので不安はあったが、いざ働いてみると、思いの外、仕事が楽しく、そして、幹子の働きに会社も評価をした。幹子は、社会との接点を持つことで、自らの存在意義について認識を新たにする。
幹子の主人の稼ぎは中の上程度で、家計で困ることはない。幹子は働きに出たものの、主婦業が中心の仕事であることには変わりはないので、仕事での稼ぎは5万〜8万円、お小遣い程度ではあったが、当人は、何より人生に張りが出来たことが嬉しかった。幹子は、稼ぎの一部を家計に入れ、残りは自分の小遣いとなった。主人の給与をやりくりして小遣いを捻出していた時より、化粧品のグレードも上がり、プチ贅沢が楽しめるようになった。周囲からは「何か、最近、若返ったんじゃない〜?」なんて言われることも珍しくはなくなった。
会社から評価をされればされるほど、仕事が楽しくなる。仕事で辛いことがあっても苦しいことがあっても、決して不快でなく、むしろ快感である。家庭の嫌なことも忘れられる。「やっぱり、人生にはメリハリが必要だわ!」幹子はつくづくそう思うのだった。
このまま、家庭も仕事も両立出来れば、良かったのであるが、人は、自分の評価が高い方に傾倒してしまう。次第に主婦業は疎かになり、仕事では結果を出し続けるのだが、家庭では、家族の不満足度が増して行った。(了)
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